コラム

説明責任とは何ぞや?

コラム:説明責任(Accountability)とは ??

最近、日本のメディアで国会に関する記事の中で、「説明責任」という言葉がよく聞かれるようになった。意味が分かっているようで、なかなか分かりにくい言葉だと感じる。責任ある立場の人は、自らの判断や行動に関して、しっかりとした説明をするべき、という意味ではあるが、どうやら、それだけではなさそうである。実は、この説明責任なる言葉は英語のAccountabilityというワードから来ている。この言葉には、説明する責任にとどまらない意味を含んでいる。もともとは、出資者に対して、会社の金を経営者がどう使うかを説明するというところからきており、説明する責任にとどまらず、いざというときには、責任を取る覚悟も含まれているらしい。つまり、腹を据えた責任(経営責任)を取る姿勢まで含みおかれた言葉なのだという。

 

河井元法相に実刑判決

2019年の参議院選挙・広島選挙区に関する買収事件で、河井克行被告に実刑3年の判決が出された。あろうことか、元法務大臣が選挙買収していたという前代未聞の事件の判決は、実刑判決という厳しいもので、自民党にとっても、政権にとっても、非常に重いものと言える。この河井被告、自民党を離党した後、結局は衆議院議員を辞職した。訴訟でも、既に社会的な責任をこれらの行動でとったと主張しているようだが、一度も会見すら開いていない。

民主主義・法治国家で、法務を司る責任大臣というのは非常に重要なポストである。米国では、大統領に万が一のことがあった場合の継承順位は、副大統領・下院議長に次いで、法務長官である。法務をつかさどる行政府の大臣とは、法で定められた事柄を厳格に守り、法治国家の要となる役割を果たす。三権分立の中にあった、行政側と司法側をつなぐ重要な役割でもある。安倍政権で、前首相との関係が深かったことから適任者のいない法務大臣をあてがわれたのだろうが、日本という国には、大臣ポストも椅子のひとつと考える風潮が強すぎるのではないか。残念ながら重みがない。それこそ、法務大臣の任命理由も、いちいち説明されてしかるべきものではないか。米国の制度がすべていいとは言わないが、閣僚の任命権者は、首相でも、国会でその任命理由くらいは説明する説明責任くらい、果たしてもらいたいものである。

さて、河井被告であるが、法廷での抗弁で、金を配ったのは、その前に実施された地方選の当選祝いや陣中見舞いであって、買収の意図はなかったと繰り返し主張している。何とか、執行猶予付きの判決に持ち込みたい一心であることがありありとわかるが、法廷闘争戦術であることは見え見えで、情けないの一言。法務大臣(経験者)の品格のかけらもない。説明責任どころではないのだ。

 

他にも説明責任を果たすべき人はウヨウヨいるはず

そして、この問題の、もう一つのポイントは、自民党が河井被告側に支出したと言われる1億5,000万円という大金が何故支出されたのかである。そもそも、それほど多額の金をだれの責任で配分したのかは、全くやぶの中である。自民党党則でも、当時の安倍総裁か二階幹事長でしか、決済できない金額ということは明らかだが、お二人とも、知らないの一点張りである。誰も知らないままに、誰の決済もなく、金が支出されることは絶対にないだろう。ここにも説明責任はない。これだけ多額の金、しかも、通常の候補者では1,500万円程度だった支給額が、何故10倍にもなったのか。政党とはいえ、公党であり、組織には決まりがある。勝手にお金が出て言ったりはしないのである。この金は、河井被告の買収の原資になったと考えるのは普通だろう。買収に使われたと、買収に使うためであったと、検察側も立証しきれないから、逃げ切れると考えているのだろうか?自民党幹部は口をつぐんだままである。

河井被告は、即時控訴したようだが、100日裁判であり、早期に判決は下るだろう。塀の中で責任を全うしてほしいが、彼以外にも、説明を果たし、責任を取るべき人たちには、説明責任を果たさせるべきだろう。自民党に公布された金も、血税である。説明責任から逃げることができるようでは、法治国家ではなくなる。